第5章 明治以降の柏の移り変わり

1 新しい村が生まれた!(明治時代)

 

(柏書房発行『明治前期 関東平野地誌図集成』 より転載)

 

⑴ 小金牧の開墾について

小金原開墾碑
(「皇大神社」十余二)

 

1869年(明治2年),それまで北総地域に広がっていた幕府の直轄地だった 小金牧 ( こがねまき ) や 佐倉牧 ( さくらまき ) は廃止され,明治政府の開墾事業の対象地どなりました。新政府は,東京と名称をかえた「江戸」の町々にあふれていた生活苦におちいっている士族や庶民たちの救済にもなるど考え,この開墾事業に期待をかけたといわれています。政府は,1869年に入植者の募集を開始し人々には,次のような条件が示されました。
•3年間の衣食住は,開墾会社が保障する。
•4年目からは,自活すること。
•開墾入費は貸与し,10年間で返済すること。

 

⑵ 開墾のようす

徐々に開墾された小金牧• 佐倉牧 ( さくらまき ) の地域には,それぞれ 初富 ( はつとみ ) ・ ニ和 ( ふたわ ) ・ 三咲 ( みさき ) ・ 豊四季 ( とよしき ) ・ 五香 ( ごこう ) ・ 六実 ( むつみ ) ・ 七栄 ( ななえ ) ・ 八街 ( やちまた ) ・ 九美上 ( くみあげ ) ・ 十倉 ( とくら ) ・ 十余一 ( とよいち ) ・ 十余二 ( とよふた ) ・ 十余三 ( とよみ ) ど名づけられました。

豊四季には1869年(明治2年),十余二には1871年(明治4年)にそれぞれ開拓者が移住して,開墾が始まりました(明治5年にそれぞれ村として成立しました)。開墾作業は,大変苦しいものでした。そのことは,当初(明治2年)豊四季へ3回にわたって移住してきた135戶(526人)が,明治5年までの2年余りの間に103戶に減ってしまったことからもうかがえます。

 

豊四季開拓百年記念碑(縮荷神社)

(『柏市史近代編』より

 

「どのような場所が開拓されていったのだろうか。」 —解答はこちら

歴史に挑戦

 

豊四季村や十余ニ村に入植した人たちの生活ぶりを調べてみよう。